地鎮祭から学ぶ未分類

2024年11月15日

昨日、2025年12月末に竣工予定の物件

「川崎大師」の地鎮祭に出席しました。

過去にも、複数回【地鎮祭】には出席させていただいておりますが、昨日お会いした宮司さんに、

「地鎮祭」とはどのような歴史から成り立っているのか?とご指導していただきました。

インターネットで「地鎮祭」を調べたところ

1:建物を建てるときに、丈夫で安全な家であること、家族の健康や幸せを祈願するもの

2:歴史は古く、日本最古の歴史書『日本書紀』にも記録されている

と明記されています。

宮司さんは地鎮祭の意味を

所有権(登記)という仕組みがない時代に地鎮祭を行うことによって、その土地の権利や所有を村人などに知らしめ、謝礼や祝福を受けるために催した文化でもある。

とおっしゃっていました。

電子技術が発達していない時代に、

祭事や儀式が、その土地や人間関係に対して重要な意味がある事だったんだということを再認識させられました。

また、祭事や儀式は、1つのTPOとして形としか覚えていませんでしたが、

その本質や背景を学び、その真意を描くことによって日本という国の背景に少しですが触れさせていただいた気分です。

仕事もただこなすのではなく、1つ1つの動作を探究し、その意味を理解しなければ、より良い物にはならないはずです。

祭事や儀式から学んだ事をいかせれば幸いです。

今後も意味のある事業を行なっていきます

 

久しぶりのブログ・・・

約1週間前に、自宅の冷蔵庫が故障しました。

この1週間、冷たい飲み物を口にすることができず、
また食材も当日食べる物のみを食している状態です。

このような弊害を体感すると、
つくづく冷蔵庫のありがたみというものを痛感しています!!

日頃、当たり前にある物は気付きずらいですが、
失って初めて自身が満たされていたことに気付きます。

人間はつくづく欲深い生き物だな・・・
電化製品の故障から、自身の人生観や交友関係仕事として取引をさせていただいている関係者に心から感謝申し上げます。

吾唯足知

 

新旧の歴史未分類

2024年5月31日

先日、大相撲の千秋楽パーティーに参加させていただきました。

この会は、大相撲を大きく賑わしている、史上最速の幕内優勝を果たした「大の里関」の対戦相手:阿炎関の部屋の千秋楽パーティーです。

阿炎関の育った部屋は、昭和の鉄人こと元寺尾関が率いる【錣山部屋】です。

 

元寺尾関とは約8年前、貴重なご縁で部屋の練習を見学に行かせていただいたり、お話をさせていただく機会がありました。

そんな交流を介し、元寺尾関の一番弟子「豊真将関」の断髪式に立ち合わせていただいた経緯があります。

親方は、昨年2023年の12月にご逝去されました。非常に悲しい出来事です。

 

今回のパーティーを介し、元寺尾関が襲名されていた「錣山」という名前を豊真将関が受け継ぎ、部屋の親方に襲名されました。

口ではうまく言い表しづらいですが、時代の移り変わりとは不思議な気分です・・・

私の人生は、常に年上の方達ばかりを目標にし、常に足りないことを追い求め向上することだけを考えてきました。

けれど今回、”相撲部屋の移り変わり”という一面を見させていただき、後輩や年下との接し方にも気をつけなければいけないんだとつくづく感じさせていただく貴重な機会でした。

人は、分かっていない。ということしか人生で分かることはできませんが、

少しでも多くの問題や物事を把握できるよう、周囲に目を配り1つ1つの物事と真摯に向き合っていこうと思います。

最後に、錣山部屋の講演会長がおっしゃっていた言葉で

「相撲界というのは伝統を維持しなければいけない部分と改善しなければいけない部分がある。それこそが伝統を継承するという意味だ」

とおっしゃった言葉が印象に重く残りました。

 

 

2024年5月6日に発刊された

【全国賃貸住宅新聞】に弊社:NITOH(ニトウ)株式会社が掲載されました。

全国賃貸住宅新聞 インタビュー

 

新聞には私の顔写真が掲載され、あたかも私が称賛されているかの如く掲載されていますが、NITOHが行なっている事業はNITOH社員全員でなし得ていることとなります。

そのため全社員1人でも欠ければ、このように【全国賃貸住宅新聞】には掲載していただけなかったかも知れません。

そのことを肝に銘じ、全社員一丸となり事業を行っております。

 

また、設立し間もない時から、当社を信じお取引をしていただいたお客様、取引先におかれましては、この場を借りて本当に感謝申し上げます。

本当にありがとうございます!!

”不動産”という商品を購入する際、ほぼ大半のお客様が「ローン」という仕組みを活用します。

このローン期間(35年間)を無事に終え、不動産という商品がお客様の資産になったと考え、その時、初めて当社は「販売した」と考えています。

 

そのため、お客様への販売を”成約”という呼称を使わず、

「お預かり」という呼称を使わせていただいております。

 

小さな言葉の違いかも知れませんが、この小さな言葉の違いを大切にできる

そんな会社、人間でありたいと考えています。

 

これからも大きな試練と、大きな変化に対応できるそんな事業を行ってまいります。

今後ともよろしくお願いします。

本日、4月1日
新卒の入社式を渋谷セルリアンタワーで行いました。
今年の新入社員の人数は5名となります。

新入社員には、毎年伝えていることですが
・「学生」と「社会人」の違いについて
祝辞として語らせていただきました。

小学生の頃は、小さく学び
中学生の頃は、中くらいに学び
高校生の頃は、高く学び
大学生の頃は、大きく学べたのが学生時代です。

この学生時代の【学び】を社会に進出したら、
・行動として提供すること
が社会人には求められます。

学生と社会人の大きな違い

私が考える違いは、
【やってもらう側】から【やってあげる側】に変化することだと思います。

稀に、社会人になってもやってもらう(依存心が強い)人がいますが、
やってあげる側の思考パターンになれなければ、
社会では評価してもらえる側にはなれないです。

なぜなら、【仕事】とは、読んで字のごとく
・仕える事
と書き、他人のために行う業務を仕事というからです。

漢字が教えてくれる、この教えは摂理を考えれば一目瞭然です。

新社会人には、仕事を行う上で
できない理由や足りない理由
わからない理由や不満を語るよりも、
多くの希望や叶えられる理由を語る
そんな人物になって欲しいと切に願います。

また、人は常に強くは生きることができないので、
志が高い先輩や上司、同僚や仲間たちという仲間を見つけ
交友関係選びも自己マネジメントの一環と高い意識を持って欲しいです。
そうすれば必ず、自分自身が立てた願いは成就するはずです。

 

最後に、本日入社してくれた新卒は、21歳前後の子たちです。

NITOHという会社が設立したのも、約20年前ですので
時の経つスピードを痛感しています。

本日入社した子たちが、1〜2歳の時に設立された会社ですので
時の経過で起きた経済情勢や少しでも多くの経験を伝え、不動産の素晴らしさをもっと感じてもらえればと思います。

 

 

 

先日、再来年の物件開発に向け、安全祈願祭を行いました。

 

不動産商品は、商品を購入しすぐに商品化することができず、リスクを受け入れながら開発を行います。

お客様にとっては目の前の商品を判断するのみだとは思いますが、私たち開発業者は2年以上先の時を考え事業化していきます。

厚かましいですが、少しでもこの決心と責任をご判断して頂き、商品を見ていただけたら幸いです。

 

 

千里の道も足下から

という諺がある通り、物件が建設するまでの最初の一歩となります。

ちなみに、安全祈願祭や地鎮祭という文化は日本古来からある文化となります。

この風習を調べましたので、参照してもらえたら幸いです。

地鎮祭(じちんさい、とこしずめのまつり)

土木工事や建築工事の起工にあたって、工事の無事を祈願するための儀式となります。

建築工事にあっては建築儀礼の一種です。

 

 

【歴史】

最も古い記録では『日本書紀』の持統天皇5年10月甲子条や持統天皇6年5月丁亥条に「鎮祭」の記述があります。

なお、『古語拾遺』(807年)では、神武天皇が橿原に都を設けた際に坐摩神(いかすりのかみ)が祀られたとする記述があり、「坐摩」は大宮地(おおみやどころ)の霊であるとしていることから古くから宮殿の起工にあたって地鎮式が執り行われたとみられます。

~Wikipedia 引用~

講和_中学校未分類

2024年1月12日

昨年の12月に横浜市の中学校より、【職業講和】を依頼され、中学生に対し職業講和を授業にて行いました。

私のような人間が、中学生に対し偉そうに何かを語れる立場ではないですが、一人の人間として「不動産」の話をさせていただきました。

 

講和の依頼内容の主題は

・仕事の内容とその魅力

・中学生で身につけてほしい力

という内容でしたが、本課題の話しする前に

「大人とは何か?」

「仕事とは何か?」

ということを皆で考えてもらいました。

なぜ、この2点を考えてもらったかというと、職業の差はあれどそもそもこの2点の方程式を理解できない限り、どんな職業を選択してもお客様や社会から受け入れてもらえないと私は考えるからです。

そんな思いから、授業をスタートしました。

このような堅苦しい話をする時に、どうしても”授業”という雰囲気が出てしまい、学生は良い子のフリをしたり、聞いているフリをしがちです。

けれど本校の学生は、真剣に自分自身の人生と社会に出ている大人の話を照らし合わせ、本人たちが社会に出た際に役に立つための質問や意見を多数問いかけてくれました。

 

現代の子供は、Z世代と言われたり・・・

ゆとり世代と言われがちですが、

決して社会や人生を俯瞰しているのではなく、情報や選択肢が多い分、慎重に選択し定めているんだなと感じました。

 

年齢的に大人である私が、授業を行うことによって、逆に中学生に学んだ次第です。

 

本年、2024年に入り、中学校側から

「来年も講和を行ってください。」と依頼してもらえ、人生の先輩として凛とした姿勢を見せることができるよう、事業継続をしなければいけないと背筋を正される思いです。

 

最後に、講和が終了し、本年になり郵送物が届きました。

その封を開けると、学生が講和に対する感謝状を書いてくれ心身ともに嬉しかったです。

このような学びや感動は、私の今までの人生の中ではなかったので、非常に貴重な経験をさせてもらいました。

今後も会社として、個人としてこのような物事に積極的に参加できたら幸いです。人生の最大の喜びとは、

人から求められ認知されること。このことに尽きると思います。

 

新年あけましておめでとうございます。

皆様方におかれましては、新春を晴々しい気持ちでお迎えのこととお慶び申し上げます。

 

旧年中は、格別のご支援を賜り、厚く御礼申し上げます。

2024年も、より一層のご支援を賜りますよう、社員一同心よりお願い申し上げます。

NITOH株式会社一同

 

この度、東京商工リサーチ社から、

日本の【優良企業】の8%にあたる企業として選出していただきました。

 

 

これも全て、お客様、取引先の方々のおかげと心得ております。

この場をお借りし

「本当に、日頃から感謝申し上げます。ありがとございます!」

 

思い返せば約20年前に、全く違う業界から「不動産業」という職種を選択させていただき、右も左も分からずNITOH(ニトウ)という会社を創業しました。

お恥ずかしながら、創業当初は、”会社”というより会社の真似事だったと記憶しています。

 

こんな状態の会社に、

たくさんのパートナー(社員)が入社してくれ、たくさんの力と知恵を貸していただけました。

今考えると、当社に入社していただいたパートナー(社員)全ての方に対し、良き社長でいれたかは不安です。

 

けれど、至らない会社や私でもあるのにも関わらず、少しでもこの会社を良い方向に動かそうと諦めず、共に志を捨てずに歩んでくれた仲間がいたからこそ、今回このような貴重な賞賛をいただけたのだと考えています。

改めて、共に歩んでくれた会社メンバーに

「本当にありがとう!!!」と心底伝えたいです。

 

 

業務として、まだまだ完璧なサービスが行き届いておらず、支障があったり、お客様、取引先のご意向を汲めなかったりと至らないことが多いとは存じますが、お客様、取引先のご意向を諦めず叶えていけるよう努力しますので、今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。

全てのお客様のご指摘を解決してこそ、より良いサービスを提供できるものだと考えております。

本当に、まだまだ足りないことだらけで、改善しなければいけないことだらけの会社ですが、

・社会に必要とされる会社

であれば、必ず無くならないと信じていますので、今後とも身の丈を知り業務に精進します。

 

最後に、弊社では不動産の販売を”成約”という呼称で表現は一切使用しておりません。

成約という呼称ではなく、「お預かり」という呼称を使用させていただいており、お客様の住宅ローン期間を、無事に共に歩み終わってからこそ、不動産を販売させていただいたのだと考えております。

弊社は、たかが20年の企業なので、まずは住宅ローン期間の35年が終了する。

第一回目の販売終了まで正しい姿勢で歩んでいきます。

 

日本の文化である「酉の市」

 

 

酉の市は、11月の酉の日(十二支)に、浅草の酉の寺をはじめ関東各地で行われる、開運招福・商売繁盛を願う祭りだそうです。

江戸時代から続く年中行事で、

「春を待つ 事のはじめや 酉の市」と芭蕉の弟子其角が詠んだように、正月を迎える最初の祭りとされていました。

縁起物ですので、毎年弊社の管理者、パートナー(社員)と共に商売繁盛を祈念して参拝に行きました。

 

 

 

 

【熊手の由来】

・ わしの爪の鷲づかみ

鷲が獲物をしっかりと捕らえることになぞらえて、運を鷲づかみすると言われるように、鷲の4本ツメのうち3本を熊手の手に、1本を柄とした3本ツメの熊手が後に5本ツメになり、「運をかっこむ」熊手守りになったと言われていたそうです。

 

・戦勝を祈願した軍扇

戦場に赴く武将が神仏に戦勝祈願のために奉納した軍扇が、勝って戻るとが熊手のように反り返った骨だけになっていたこと—–この故事にあやかって「開運を招く」熊手守りになったとされているそうです。

 

・実用の農具から縁起物へ

酉の市の始まりは江戸近在の花又村の収穫祭と言われ、その日は鎮守である鷲大明神に市がたち、農具や農産物を売る露店が立ちました。その中に、大きな唐の芋「頭の芋」、粟で作った黄金色の「黄金餅」とともに、落ち葉などを「掃き込む、かき込む熊手」がありました。江戸市中からの参拝者が増えるに従って、実用的な熊手から江戸っ子が好む洒落がきいた縁起熊手へと変化していったと伝えられます。

明和8年(1771)頃から盛んになった浅草長國寺の酉の市では、花又で商われる熊手よりずっと大きく華やかな縁起熊手が出現し、後にはかんざし熊手など多種多様の熊手が人気となったそうです。

 

 

古来からある日本の風習には何か意味があるのだと思い、大切にしていきたいです。

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